活動記録

日々の活動記録

かわの正美の日々の活動をご紹介いたします。

2013年3月


3月1日

昨日も会議、勉強会山積みでした。写真は昨日の中山恭子参議院議員の集会。
他にも、日本維新の会では同僚の議員さんたちと公私、様々な場面でしっかりと議論しています。与党の圧倒的な議席数と安倍政権の驚きの高支持率を前に、われわれ日本維新の会がどのように存在感を示して行動するか、来週以降の国会では、さらに白熱した議論が行われる予定。乞うご期待…というか、私も頑張らなくてはいけません!

3月2日

のどかな風景の中、本日は地元事務所を中心に活動していました。

3月2日

地元の現状についてレクチャーを受けました。国会議員は国の将来を語っているだけではなく、地元と国のパイプ役としても、しっかりと頑張らなくてはなりません。

3月2日

地元事務所に素敵なプレゼントをいただいてました。

3月5日

この写真の会合(私は微妙に下向いて写ってますが…)本当に活発な議論でした。
常に、日本維新の会の立ち位置をしっかりと確認しながら、圧倒的な与党議席の衆議院で、責任ある行動をとらなければなりません。

3月8日

今朝の予算ヒアリング。本日は総務省、厚労省、文部科学省、警察庁などでした。9時から予算委員会ほか、他の会合もあるため、慌ただしく退室せざるを得ない方も。私は幸か不幸か、重なった予定がなく、最後まで聞くことができました。
来週からはそれぞれの担当委員会で各種審議がはじまります。私は、今から環境省提出の法案について勉強します。

3月9日

今日は福岡。法人本部理事長室でたまった書類等を仕分けつつ決済。法人の方に連絡をいただいている行事のお誘いもあるため、地元事務所や国会事務所とも連携が必要。国会というところは、事件や事故で日程が変わるだけでなく、世間一般では些細なことと思える発言や出来事でも審議がストップしたりズレ込むため、会期中は先の予定が組めない。前にも書いたが、このため不義理をすることや失礼な対応をせざるを得ない場面も多く心苦しい限り。

3月11日

東京です。
東日本大震災から二年、貴重な命を失われた方の御冥福をお祈りするとともに、被災者の方々に改めてお見舞い申し上げます。
震災当初は、医療法人理事長として、医療スタッフ派遣や義援金という形でしか行動できませんでしたが、これからは国会議員の一人として、机上の空論を重ねるのではなく、スピード感をもって、現実的な解決が早期に行われるように、また、適切かつ有効な予算が執行されるように、努力したいと思います。
午後から、政府主催の東日本大震災二周年追悼式に出席させていただく予定です。

3月11日

日本維新の会の声明です。

3月11日

予定通り東日本大震災二周年追悼式に参列させていただき、献花をして参りました。式典は天皇皇后両陛下御臨席のもと、厳かに挙行されましたが、両陛下が御退席の際にご遺族の方々の前に立ち止まり慈悲深い表情をされていたのが感動的でした。
衆議院議長の追悼の辞がありましたが、衆議院議員として、しっかりとした仕事をしなくてはならないと改めて気持ちが引きしまりました。
バスを降りた順に案内されたのですが、何と会場中央真ん中の席に座らせていただきました。会場内は撮影禁止でしたのでプログラムの表紙画像を貼り付けておきます。

3月12日

今朝も8時から道州経済部会・国家政策部会合同会議に参加。
早めに終わったので、TPP交渉促進議員連盟の勉強会に途中参加しました。TPP交渉参加に事実上の舵が切られた現在、しっかりと勉強して議論に加わりたいと思います。この会は超党派で、現在は主に農業について勉強が進められています。

3月13日

硫黄島に行って来ました。日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式に硫黄島問題懇談会会長である逢沢一郎代議士を筆頭に党派を超えて、外務・防衛各政務官を含む7名の国会議員が参加しました。68年前に激しい戦闘が繰り広げられた硫黄島の遺骨収容帰還事業はまだ50%に達していません。今なお11000柱を超える遺骨が眠っているそうです。島内では、米軍の資料や砲弾の着弾痕を目印に大規模な遺骨収集活動が行われていました。着弾跡の付近に日本軍の壕があるだろうという推論が根拠だそうです。
日米合同の国旗軍旗入場、同じく日米合同国歌演奏と米国の若い兵隊と日本の自衛隊員が掛け声や足並みを揃えている場面を見ていて、平和な世の中であることが大変重く感じられました。68年前、互いの祖国や大切な家族を守るために戦い、多くの貴重な生命がこの島で失われて行きました。写真は有名な摺鉢山と摺鉢山から見下ろした景色です。この海岸から米軍が大挙上陸しました。
現在も多くの問題を抱えている硫黄島については、改めて考察したいと思います。ちなみに、私は今日一日強い日差しを浴びて、鼻の頭が赤くなってしまいました…

3月14日

今日も8時からの部会参加でスタートしました。午後に4時間を超える本会議開催が決まり、本日の予定は大幅に変更。昨日は硫黄島。一日不在にしただけでちょっとした浦島太郎のような気分。我が国が日々刻々と国際社会の中で動いていることを実感させられます。こういう場にいる責任を改めて自覚して頑張らなくてはなりません!
ところで今日、私の顔が赤いのは日焼けですから、誤解無きようにお願いします。

3月15日

8時からの部会に参加して、部屋に戻りました。今日は各委員会が目白押し。それぞれの担当委員会で論戦スタートです。私が理事を務める環境委員会も始まり、本日は石原伸晃環境大臣の所信表明。来週早々から質疑、そして地球温暖化に関する法案審議へと進みます。来週、月曜日と火曜日に福岡で出たい会合がありましたが、どう考えても出席できそうにありません。またまた失礼致します。

3月17日

明後日の火曜日午前、衆議院環境委員会で石原伸晃環境大臣の所信に対し、我が党から阪口直人議員と私が質疑を行うことになりました。国会議員として初の公の場での質問、しかも持ち時間45分。
福岡に戻る飛行機にも資料の山を持ち込み、居眠りする暇もなく他の委員会で我が党議員が行った議事録をチェックし、齟齬のないように準備。自宅では環境関係の資料をチェックし、ネットその他の手段も用いて情報収集。我が党が推し進める道州制が実現すれば、環境問題は地方に移行する可能性が大きいと思います。だからこそ、現時点で国がしっかりした仕事をしておかなければならないと思います。基本がいい加減なものでは、地域によって判断基準がバラバラになることも危惧されます。
週末は寸暇を惜しんで考えをまとめ、明日は朝から関係者のヒアリングなどを行い、偏ることのない質問をしたいと思っています。頑張ります!

3月18日

午前中は予算委員会を傍聴。昼から、我が党の質問をテレビで聞きながら、明日の質問に備えて資料と格闘中。夕方から夜まで会議もあり、時間が足りない…
午前の予算委員会では、安倍総理自身も含め、多くの自民党議員が選挙で農政連から推薦を受けていながら、TPP交渉参加を表明したことについて、民主党から突っ込まれていたが、総理は堂々とした反論。内閣支持率の高いことが総理の答弁からも感じられる。日本維新の会が頑張らなくてはいけない。

3月19日

初質問終了。45分の持ち時間をうまく配分できたことには満足だが、内容はまだまだ不満足。将来の道州制を見据え、国の姿勢をもっと問いただしたかったが、スッキリせず。2回目の質問登場はなんと金曜日。質問を重ねて頑張ります!

3月20日

ちょうど8年前の平成17年3月20日午前10時53分福岡県西方沖地震が発生しました。最大震度は6弱、マグニチュード7.0。尊い生命を失われた方もいらっしゃいました。
私は当時、地元医師会のブロック長として医師会旅行のお供でまさに震源地付近の海上にいました。船内のテレビが慌ただしくニュース速報に変わり、福岡ビルのガラスが割れる映像を流していました。当日は家族が別々の場所にいたため、お互いに状況が把握できるまで極めて不安だった記憶があります。
地震の少ない福岡で起こっただけに、その後、防災意識が高まり、私は福岡県精神科病院協会副会長として、会長の命を受け、病院における災害時マニュアルを作成し、全国機関誌に発表しました。特に近隣の病院が被害にあった場合の地域連携や応援体制について検討しましたが、医療は法律で縛られることが多く、なかなか文章として発表するには制限が多く、表現に苦慮したことが思い出されます。災害時には、いわゆる超法規的決断を迫られることもあるでしょう。しかし平時に法律を逸脱することを検討していては、法律そのものの存在理由が問われてしまいます。
昨日、環境委員会の質問でも喋ったのですが、被災者に対してはスピード感を持って対応することが大切です。いたずらに時が過ぎないように、法律や建前論ばかりでなく、現実的な着地点を早期に見つけて行くことが大切だと思います。こういう場合は特に政治家がリーダーシップをとる必要があると考えます。
いのちを守る責任。衆議院議員河野正美は改めて気持ちを引き締めて頑張ります!

3月21日

休日明けの本日も会議は待ってくれません。環境委員会と共にもう一つの所属常任委員会である決算行政監視委員会がスタートしました。前総理も所属されている委員会、こちらも頑張ります!でも、まずは明日の地球温暖化に関する質問準備…

3月22日

本日が二度目の質問。地球温暖化に対しこれから我が国が如何に対応してゆくか。政府の意見を聞く。今、議論されている法律は民主党政権時代と絡んだものも多く、攻め所が重要になる。
最後にエコカー減税についても質問してみました。同じ車種にサンルーフや電動シートをつけて車重が重くなると、燃費が悪くなったにも関わらず、区分が変更されるため、エコカー税率が良かったりする。さらに、お買い得感があるので、そちらの方が売れてしまう。そんな矛盾を正す。「お引っ越し」などと呼ばれ、しっかりと業界では当たり前になっていたこと。既に少しずつ改められているようだが、初めからキチンとした対応ができるような対策しておくべきだったはず。

3月23日

地元県議の会合に来賓として挨拶させていただきました。
会派が違い、いつも以上に緊張。しかし、郷土を思う気持ちは同じ。貴重な機会をいただいたことに感謝です。

3月24日

久しぶりに東京で日曜日の朝を迎えました。以前は土曜日午後から医学系の研究会があることも多く、宿泊して日曜の昼頃帰るパターンが年数回ありましたが。質問準備もほぼ終わったので、再び福岡に戻りますが、明日昼過ぎからまた東京ライフです。一週間に三往復…今のところ自己最多記録です。

3月25日

地元事務所です。今週末の党大会を前に福岡県総支部代表の任命状が届いていました。他県では既に記者会見を開いておられるところもありますが、我が県は党大会以後になりそうです。何れにせよ気持ちを引き締め頑張ります。
これから明日の質問に備えて上京します。福岡滞在時間が短い…

3月26日

本日も衆議院環境委員会で質問しました。昨日、修正案提出について相談があり、野党間協議や党内手続きをどうするか、8時からの部会を中途で退出し、今井雅人代議士(道州経済部会長)や小沢鋭仁代議士(国対委員長)と協議。8:50からの環境委員会理事会は走って行ったが、最後の一人…
委員会が始まり、我が党からは小沢鋭仁元環境大臣が登場しました。持ち時間は30分だが場合により党としての持ち時間45分をフルに使うという気迫あふれる質問!という訳で本日、私は予備としてスタンバイ。しかし多忙な小沢国対委員長、他の会議との兼ね合いもあり、結局残り約10分で交代になりました。準備万端で気楽に構えていましたが、いざ10分でとなると、用意していた質問から時間に合わせてチョイスが必要。日本維新の会の新人議員に甘えは許されません。どんな振りでも、しっかりと対応しなくてはいけませんね。焦りながらも冷静を装って質問する様子はネットで御覧ください。

3月27日

日華議員懇談会に出席させていただき、長い一日の公式行事は終わりました。機会があれば台湾を訪問してみたいと思います。

3月28日

扉を開けておけば、議員の机から隣の事務(秘書)室のモニターが見えます。連日強気の安倍内閣閣僚答弁。脅威的な支持率を背景に自信満々という感じです。一方で一部の方は激しい野次の応酬も。ちなみに、多分ヤジがなるべく入らないようにマイクを設定してあるので、テレビ中継ではあまり気にならないかもしれませんが、現場にきていただくと臨場感たっぷりに傍聴できるかと思います。議長や委員長が「御静粛に願います」と言った時は激しいヤジの応酬があっていると思ってください。
とにかく…日本維新の会がしっかりと政策提言しないといけません。今日も頑張ります!

3月29日

本日は朝8:30から衆議院環境委員会(8:20理事会)。地球温暖化対策の推進に関する法律の一部改正法案の採決でした。これは京都議定書の第二約束期間に入らないため、我が国独自の法律として、引き続き温室効果ガスの排出削減を計ろうというもの。修正案や附帯決議案、さらに採決日程も絡み、昨日まで与野党間の交渉が続きました。法案自体は各党とも反対ではないのですが、一部改正法案では、多くの原発が停止していることなどを理由に数値目標が書き込まれていないこと、そもそも基本法というフルモデルチェンジ版が衆議院を通過しているのに参議院審議中に衆議院解散により廃案になってしまっていることなど、どうしても触れておきたい問題が多々ありました。さらに前回の可決法案は民主党政権下であったことや、原発再稼働問題など難しい問題が絡んでいます。
私は提出者の一人として附帯決議の趣旨説明をさせていただきました。
何れにしても昨日の理事懇談会から採決まで一年生議員としてはあり得ないような貴重な経験をさせていただきました。感謝と共に国会議員としてしっかりと成長して負託に応えられるようにしたいと思います!
明日は党大会、後ほど大阪に移動します。

3月30日

昨日は早朝からの委員会採決に続き、夕方は兵庫県伊丹市で街頭演説。一昨日来の体調不良で喉が痛くて上手く声が出ない中、車の上でマイクを渡された途端に大声を出していました。国のやるべきことと地方が任されるべきものをしっかり分担して日本を元気な国にする!日本維新の会は未来への責任をもった政治を行います。夜が明けたら、いよいよ党大会です。写真は三木圭恵先生に撮っていただきました。